石原貴洋vs仁科貴 対談2 「ドリフ」「よしもと」について

 

石原
ドリフの話なんですけど、僕は仁科さんの演技見て、カトちゃんをいつも思い出すんですよ。

 

仁科
そうですか。なんと光栄な。

 

石原
カトちゃんの2度見っていうか、チラ見っていうか、僕は世界トップクラスやと思ってるんですね。

 

仁科
トップクラスですよね。

 

石原
仁科さんもその系統があると。

 

仁科
僕は加藤さんですから。2度見の心の師匠は。

 

石原
2度見の加藤師匠ですか。

 

仁科
はい。

 

石原
なるほど。それ繰り返しみとったん?

 

仁科
バトル・ロワイアル2っていう映画の時に、僕、兵隊の役で出てて、その中の先輩が2度見について、僕に教えてくれたんですよ。カトちゃんの2度見は最高や、と。それで、その時に2度見を相当練習したんですよ。僕ら銃をもって立ってるだけの仕事が、2週間くらい続いたんですよ。カットとカットの間に、立ってるだけのストレスが噴き出して、やっぱりそういう話に花が咲くんですよね。ちょっとした話に。結構2度見で。

 

石原
ドリフターズってやっぱり、基本的に反応って言うか、演技の間合いが素晴らしいですね。

 

仁科
『8時だョ!全員集合』を僕ね、5年の時に、恥ずかしい話なんですけど、うちのお姉ちゃん5つ上なんですよ。習い事とか姉が始めて、僕も。子どもってお姉ちゃんの真似したがるから、一緒について言ったりして、エレクトーンを実は。流行ってたんですよ。僕が小学校5年くらいの時かな。1980年くらいってエレクトーンすごい流行ったんですよ。習いに行ってたんですけど、結局土曜の8時からやったんです。

 

石原
あらま。時間がかぶった?

 

仁科
長続きしませんでしたね。当然。

 

石原
僕も仁科さんも、子どものころからドリフ見てたいうことですよね。子どもの時はもちろんそうですけど、大人になって見返してみても、よう出来とるね。あれはすごいわ。やっぱり。

 

仁科
ドリフの大爆笑ね。

 

石原
僕、一番好きなドリフのコントが、サウナのネタで、どんどんイレズミ多い人が入ってくる話があって、ほとんどセリフなしですわ。あれが素晴らしかった。ほとんど驚くだけの演技で笑わすって言うか。あれぞコントみたいなね。

 

仁科
僕、でもね。石原さんも、そうやと思うけど、関西人なので、もっと根っこをいうと、やっぱ、よしもとなんですね。僕が生涯を通して最高にあこがれてるキャラクターがあって、花紀京さんがやってた、ドカジャンにニット帽の、酔っぱらいのおじさん。朝から。あれが、最高で。岡八郎さんとの掛け合いが。僕は、あそこは目指したい、目指すところなんですよ。最高。大好きです、俺。

 

石原
僕はもうちょっと若い世代って言うか。

 

仁科
10歳? いくつ違うん。

 

石原
10個下ですね。僕よしもとで言ったら、辻本さんのヤクザの演技というか、あのDNAが一番受け継いでいるかもしれないですね。よしもとでは。辻本さんのヤクザ面白いですよ。

 

仁科
完食や。

 


 

仁科貴(にしなたかし)
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俳優

父方の祖父は映画キャメラマンで、日本最初の映画スターと言われる“目玉の松ちゃん”こと、尾上松之助の約1000本の出演作品のうち、750本の撮影監督を20代で務めたことで知られる川谷庄平。原稿用紙500枚に登る手記「魔都を駆け抜けた男 私のキャメラマン人生」(構成・山口猛 / 三一書房)がある。祖母・二三子も元女優。

母方の祖父、仁科熊彦(紀彦)は“アラカン”こと、嵐寛寿郎の当り役「鞍馬天狗」や、“むっつり右門”の名で人気を博した「右門捕物帖」シリーズの監督。「人情紙風船」の山中貞雄の師匠の一人。祖母は、マキノ雅弘監督「浪人街 第一話 美しき獲物」(1928年・第5回キネマ旬報ベストテン第1位)主演女優の一人。長谷川一夫(林長二郎)デビュー作の共演者としても知られる岡島(岡嶋)艶子。

母・克子と婿養子として仁科家に入った父・仁科拓三(旧姓・川谷拓三)もともに俳優。

父の母方の叔父は、1931年、田坂具隆監督「かんかん虫は唄ふ」でデビュー。サイレント映画から、70年代の時代劇、刑事、特撮ものまで、幅広い活躍で知られた俳優・伊沢一郎。奥方は、女優・美川かつみ。

という映画一族に生まれる。
当時、父が付き人をしていたスター・鶴田浩二に“貴”と命名される。