石原貴洋vs仁科貴 対談3 「仕事」「幸せ」について

 

石原
皆さんこんにちは。

 

仁科
こんにちは。

 

石原
今回はですね、お互いの俳優、映画監督として、もし俳優やってなかったら、映画監督やってなかったら、何モンになってたんや? っていう話しようかなって思ってて。まず僕は真っ先に裂けて通れないのは、ラーメン屋でして、大阪外道でグランプリいただくまでは、ラーメン屋勤めだったんですよ。これがね、今までで一番向いてて。ラーメンの麺を切る感覚とか、チャーハンの感覚ですよね。天職やったんすわ。自分で言うのもなんやけど。

もし、映画でうまくいってなかったら、あのままずっと僕、ラーメン屋だろうなって言うのがあって、その話を林海象監督にしたら、まあ面白がってくれて。いつも冗談で「石原よ、ラーメン屋やろうか」って。いつも言うてくれるんやけどね。これすごい嬉しいんやけどね。僕は食べ物屋さんで、身を収めてたかもしれないです。仁科さんあります? そういうの。

 

仁科
僕ですか? 僕、水道屋。

 

石原
水道屋ですか。向いてましたか? 長かった?

 

仁科
最初は半年しかやってなかったんですけど、21で入ったんかな。22か。半年くらい休まんとミッチリやったんですけど、若いから、まだ真っ白な状態やから、しんどいな辛いなって思いながら、身も心も水道屋にあっという間に、なっていきそうになったんですよ。その仕事に誇りを覚えるようになったんです。

 

石原
職人やな。

 

仁科
ええ。俺あのままやったら、水道屋になってると思います。僕らの今の仕事ってやっぱりイメージじゃないですか。イマジネーションじゃないですか。若い頃から夢に持ってて、ずっとイメージトレーニングはしてたと思うんです。映画って面白いなって思うだけで。それがずっと生き残ってた訳じゃないですか。

 

石原
そうやね。妄想の強さは誰にも負けないものあったから、それはあるかもしれない。

 

仁科
それはだから、いくつになってもできると思います。意欲さえ持っていたら。

 

石原
皆さん聞いてますか。クリエイターは、何歳からでも遅くないと言うてますね。仁科さんは。

 

仁科
役者って、特別扱いされたりとか、特別な目で見られたりしますけど、演じるべきところは普通のところじゃないですか。

 

石原
まあ、そうですね。

 

仁科
ヤクザとか、お医者さんとか、大金持ち、ものすごい貧乏。そういう極端な世界を描くことが多いのはありますけど、僕はほんまに、そこそこ底辺の人間を演じられる人になりたいなっていうのは、自然と親から教わってきたことやと思うんですけど。僕はアルバイトやりながら、今でもいつでもアルバイトやりたいと思ってるのは、まず自分が普通の人間じゃないとね。その感覚をやっぱり忘れたくないなって言うのは、リアルボンクラなりには思ってます。リアルボンクラですけど、僕。

 

石原
なるほどなるほど。あくまで一般人代表やって言うことで。

 

仁科
でありたいなっていう。だから一生懸命普通になろうとしている人間なんです。僕も。

 

仁科
ささやかな幸せでしょ? 僕は、ほんまにプラプラすんのが大好きです。

 

石原
散歩。

 

仁科
散歩。

 

石原
僕もよう、ほっつき歩きますけどね。

 

仁科
歩くの結構平気なほうで。

 

石原
目的なしに?

 

仁科
目的なしに歩くの大好きですね。ロケ行くじゃないですか。地方ロケ。泊りで。半日空いたり、1日空いたりするじゃないですか。そういう時は、ひたすらアテもなく歩きますね。

 

石原
似たようなところあるね、やっぱり。ほっつき歩いて行って、この店ええなぁ言うて入って行く感じでしょ? どんなもんかって。

 

仁科
結構僕、ひとりで初めてのお店は行ったりするの平気なタイプなんですよ。そういうの出来ない人いるんですよね。石原さんも大丈夫な方ですよね?

 

石原
なんともないですね。平気で入って、店のオッサンやオバハンに普通に話しかけますし。

 

石原
僕は今まで、こう心を鋼鉄にして生きてきた、というか。迷わないように映画に対して全身全霊で生きてきたわけですけど、映画だけに全身全霊に捧げてると、当たり前ながら周りが見えないというか。他のことをすっ飛ばして生きてきてるわけなんですね、僕なんか。

ふと、目の前で子どもたちが楽しくご飯食べてて、僕も一緒に食べる機会があって。あれ? 俺何してたんや? みたいなね。俺こんな大切なこともすっ飛ばして生きてきたんかって、ちょっと愕然とするというかね。そういうこと、子ども映画をやって気づかされた、というか。子どもたちに教えてもらったことでもあったんですね。これは、もう長編映画でちゃんと描かなきゃダメだなと思って。

 

仁科
子どもっていうのがね、僕まだいないから。

 

石原
お互い結婚してないですもんね。結婚しないんですか?

 

仁科
してないです。

 

石原
しないですか?

 

仁科
したいですね。

 

石原
僕もしたい。

 

仁科
結婚しましょうか。

 

石原
結婚する? 気持ち悪いわ(笑)

 


 

仁科貴(にしなたかし)
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俳優

父方の祖父は映画キャメラマンで、日本最初の映画スターと言われる “目玉の松ちゃん”こと、尾上松之助主演作品の撮影監督を20代で務めたことで知られる川谷庄平。原稿用紙500枚に登る手記「魔都を駆け抜けた男 私のキャメラマン人生」(構成・山口猛 / 三一書房)がある。祖母・二三子も元女優。

母方の祖父、仁科熊彦(紀彦)は“アラカン”こと、嵐寛寿郎の当り役「鞍馬天狗」や、“むっつり右門”の名で人気を博した「右門捕物帖」シリーズの監督。「人情紙風船」の山中貞雄の師匠の一人。祖母は、マキノ雅弘監督「浪人街 第一話 美しき獲物」(1928年・第5回キネマ旬報ベストテン第1位)主演女優の一人。長谷川一夫(林長二郎)デビュー作の共演者としても知られる岡島(岡嶋)艶子。

母・克子と婿養子として仁科家に入った父・仁科拓三(旧姓・川谷拓三)もともに俳優。

父の母方の叔父は、1931年、田坂具隆監督「かんかん虫は唄ふ」でデビュー。サイレント映画から、70年代の時代劇、刑事、特撮ものまで、幅広い活躍で知られた俳優・伊沢一郎。奥方は、女優・美川かつみ。

という映画一族に生まれる。
当時、父が付き人をしていたスター・鶴田浩二に“貴”と命名される。