石原貴洋vs仁科貴 対談1 「仁義なき戦い」について

 

 

石原
皆さん、こんにちは。今日は『仁義なき戦い』の話をしようかなと。

 

仁科
散々してますけどね、今まで。

 

石原
こういった形でちゃんと『仁義なき戦い』について語るのは初めてなので、僕はね、広島死闘編が一番好きなんですよ。

 

仁科
俺、頂上作戦が好きなんですよ。広島死闘編は「好き」飛び越えてるんですね。

 

石原
うんうん。

 

仁科
5本全部見て、その傑作と言われている物以外に、一番愛すべき作品を自分なりに探した結果、頂上作戦になったんですよ。

 

石原
頂上作戦はほとんど駆け引きの内容ですね。

 

仁科
ほんまに、何すんねんお前ら!っていう…。大人同士の事情と、それを知らない若者たちをすごく対比して描いている。

 

石原
だます、だまされるの世界ですよね。それが一番確かに、頂上作戦では出てたかもしれないですね。

 

仁科
全部、詰まってる感じがして。

 

石原
僕からしたら、広島死闘編何をそこまでええんやっていうと、梶芽衣子さんが綺麗っていうのは当たり前なんですけど、愛も描かれとる訳ですよ。シリーズで唯一って言っていいくらい。あの愛の激しさもね、たまらん。わしからしたら。

 

仁科
2と5くらいですよね。愛描いているのは。

 

石原
そうそうそうそう。なんていうかな、戦後の闇市の描き方も、第1作と広島死闘編と。闇市もしっかり描かれとるわけですけども、北大路 欣也さんが食堂で飯を食うあの姿だったり。喧嘩して逃げまどって、車の下逃げていったりね。ぼこぼこにされてるあの姿とか。ああいう、砂ぼこり感覚って言うのかな。今のこの平成の世界ではなかなか再現しにくいものが、しっかり描かれとる。

 

仁科
ほんまに手持ちカメラっていうのを見せつけた、最たるシーンですよね。あのシーンは。あれ、原作の『仁義なき戦い』は、大学の面接の時に「最近、読んだ本は?」って聞かれて、文学部の面接やったんですけど、最近読んだ本はって聞かれて、俺本なんか全然読まへん人なんですよ。『仁義なき戦い』読んだって言ったら、君は大学にヤクザの勉強しに来るのかね? って言われて。

 

石原
ええやんけね、別に。

 

仁科
その時に、『仁義なき戦い』っていうタイトルってすごいメッセージがあって、結局あれ広島で起こった事件じゃないですか。広島って原子爆弾が落ちてるじゃないですか。1回焼け野原になって、そこから要するに、生きるすべを見つけようとした人たちが、結局ああいう形になったって言う。ちゃんとそういう伏線があって。『仁義なき戦い』っていう言葉自体がやっぱり、原子爆弾を指してるっていうのが、たぶん飯干さんの。それは、深作さんも意志をくみ取って、そういう風にメッセージを込めて描いてるんですよね。その話をしたら、大学のおっさんら、そんなこと思いもせんから、はぁなるほどなぁ~って感心してはりました。感心させたった(笑)『仁義なき戦い』で。

 

石原
そういわれると確かに、大きい括りのタイトルやった訳ですね。そもそも「代理戦争」って言うのも、アメリカ・ロシアの当時の冷戦のあれやから、括りは大きく描いとった訳ですね。で、仁科さんのお父さんである川谷拓三さんも、出演されてる訳ですけども、広島死闘編では、一番えげつない死に方してますよね。あんな死に方ありですかね。あれひどよね。

 

仁科
あれ実際は、ナイフで体中に切り傷付けて、それで塩水に付けたっていう話ですよ。

 

石原
ひでえな。

 

仁科
映画よりもっとひどかったです。実話は。

 

石原
ほんま? 塩水が入って痛むように? ひでえな、それ。で、吊るさられて、的打ちですか。僕は、素直に質問なんですけども、お父さんが映画に出られてて、そのお父さんは日本でも伝説って言って良いくらい、死に役が多いお父さんを持っていて、息子さんとして、どう思いますか。どういう風に見てました? お父さんの死にっぷりというか。映画の中で。

 

仁科
可哀そうで見てられなかったです。

 

石原
ロクな死に方してませんやん。

 

仁科
嘘やって分かってるのに、なんでって。自分のお父ちゃんですから、死んでないのは僕が一番わかってる。なんであんな悲しかったんですかね。

 

石原
心痛かったですか。

 

仁科
痛かったです。俺、子どものころ、テレビとかでもオヤジが打たれて死んだり、誰かかばって殴られたり、そんな役テレビでも、今なかなか、そこまで激しい描写できないですけど、70年代はね、まだまだあったんで、そういうのを見て、可哀そうで、親の前で泣くのって恥ずかしいでしょ。子どもって。そやから、見終わった後、トイレに行って、トイレでひとりで泣いてたりしました。

 

石原
そんだけ映画で描いている描写がリアルだったってこともある訳ですね。

 

仁科
そうなんです。あと、オヤジは、ほんとになんか可哀そうな人を演らせたら、右に出る者いないって、僕も言わせてもらいます。僕が言わせてもらいます。

 

石原
言って良いですよ。僕の大阪蛇道でも、(仁科さんには)出来ないヤクザっていうか、ぼんくらヤクザで出てもらったわけですけども、最近では田中健詞 監督の、パンチメンとか。あれもぼんくらですよね。

 

仁科
ダメな人間ですよね。

 

石原
ダメな人間として出たら、トップランナーちゃうかなと思うとるんすわ。

 

仁科
ありがとうございます。

 

石原
これ褒めてんのかな。褒めてます。自分ではどう思われます? 僕は監督してはぼんくらとして出てほしいんですよ。愛をこめてですよ、これは。

 

仁科
その方が自由ですよね。

 

石原
自由。

 

仁科
何でもできてスキのない人間を演じるより、ダメな人間の方が自由じゃないですか。

 

石原
そう言われたらそうやね。

 

仁科
楽しい。心から楽しいです。ダメな人間の方が。

 

石原
僕の大阪蛇道では、裏設定であまり字読めないとか。車の免許持ってない。読み書きが無理と。娘の方がしっかりしてるっていうね。

 

仁科
良かったですね。

 

石原
良かったですよね。で、嫁はんもしっかりしとると。大変よう出来てるんやけど、お父ちゃんがぼんくらだと。何が幸せやっちゅうのを大阪蛇道では描いとるわけですけども。お父さんぼんくらでも、いいですよね。別に。お母さんしっかりして、娘がしっかりして。仁科さんは、ちなみに計画性あって生きてますか。

 

仁科
かろうじて、そういうものもないとアカンのかなと思いながら生きてます。明日からしっかりしよう、明日からしっかりしようと思いながら、毎日生きてます。

 

石原
って酒飲んでるわけですね?

 

仁科
そうです。明日は飲まんとこう、明日は飲まんとこうと思って飲んでる訳ですね。

 

石原
それでいいと思います。はい。

 


 

仁科貴(にしなたかし)
nishina_L

俳優

父方の祖父は映画キャメラマンで、日本最初の映画スターと言われる “目玉の松ちゃん”こと、尾上松之助主演作品の撮影監督を20代で務めたことで知られる川谷庄平。原稿用紙500枚に登る手記「魔都を駆け抜けた男 私のキャメラマン人生」(構成・山口猛 / 三一書房)がある。祖母・二三子も元女優。

母方の祖父、仁科熊彦(紀彦)は“アラカン”こと、嵐寛寿郎の当り役「鞍馬天狗」や、“むっつり右門”の名で人気を博した「右門捕物帖」シリーズの監督。「人情紙風船」の山中貞雄の師匠の一人。祖母は、マキノ雅弘監督「浪人街 第一話 美しき獲物」(1928年・第5回キネマ旬報ベストテン第1位)主演女優の一人。長谷川一夫(林長二郎)デビュー作の共演者としても知られる岡島(岡嶋)艶子。

母・克子と婿養子として仁科家に入った父・仁科拓三(旧姓・川谷拓三)もともに俳優。

父の母方の叔父は、1931年、田坂具隆監督「かんかん虫は唄ふ」でデビュー。サイレント映画から、70年代の時代劇、刑事、特撮ものまで、幅広い活躍で知られた俳優・伊沢一郎。奥方は、女優・美川かつみ。

という映画一族に生まれる。
当時、父が付き人をしていたスター・鶴田浩二に“貴”と命名される。